2022年5月15日 主日礼拝 幸いな者

聖書 ルカによる福音書 14章7-14節

安息日の食事の席の話が続きます。ここでは食事に招待された人々への話と、招待する人への話が語られます。現代社会においても、国王や大統領が招待する晩餐会から、私たちのお食事会まで、一緒に食事をするときに誰を招待するのかは大事なポイントとなります。ましてや当時の社会では、共に食事をするということは、同じ考えや価値観を持ち、共通の社会的地位にあることを意味していたようです。

ルカによる福音書は、何回もファリサイ派の人が一緒に食事したいと主イエスを招待している場面を描きます。そこから、主イエスの言葉を好意的に受け止めていた人々がいたとも考えられます。しかし、その席で、イエスの足を涙で濡らす女(7:38)ことや、身を清めなかった主イエス(11:38)のことで、違和感を持つ彼らの感受性に、厳しい主イエスの言葉が届けられていくのでした。

この箇所では、主イエスは招かれた食事の席で上席に座りたがっている人々に注目します。彼らは友人、兄弟、親類、近所の金持ちたちであったようです。そこで主イエスは、婚礼の祝宴に招待された時のふるまいについて、たとえ話をされるのでした。当時のユダヤ社会において、誰が上席に座り、誰が末席に座るのかは大問題でした。だからこそ、高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる(14:11)と言われるのでした。

続いて宴会を催すときに誰を招待するのかを語られるのでした。貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば彼らはお返しができないから、あなたがたは幸いなものとなる。と、言われるのでした。この世での「幸い」と、主イエスが指し示す「幸い」には大きな違いを見ることができます。貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのものである(6:20b)を違和感なしに受け止められることができない所に、私たちの罪があるのでしょう。宴会を開催できる機会を与えてくださった主なる神を喜ぶことから始めてみましょう。