2024年8月25日 主日礼拝 あなたがたの体

ヤコブの手紙 4章1-6節

とても残念なことですが、戦い、争いが日常生活の中で度々触れることが多くなった状況が続いています。
でも私たちは、この戦いや争いは自分とは関係ないものと思っています。そのずれが問題なのでしょう。
私たちの命を創造された神を信じていくということは、神のかたちに造られた他者が戦いや争いによって
殺されていることを無関係にはできないのです。

この箇所では、その原因は「うごめく欲望」とします。他の翻訳では「欲情、快楽」などとしています。
特にヤコブの手紙3章13節以降で語られた「上からの知恵」に対比して、体の中にある地上の者、悪魔か
ら出たものに目を向けるようにと言うのです。さらに過激な言葉が続きます。しかし、私たちはその言葉
が自分に向けられているとは思えないのです。よこしまな思いが自分の中にあるとは思い描けないのです。
反論したくなるような言葉が続きます。聖書では一方で喜んでいなさい。と言い、また一方では世の友と
なろうとする者は自らを神の敵とする。と言うのです。

このヤコブの手紙は一度も主イエスの名が登場しない手紙です。またどこかキリスト者とし生きるための
道徳倫理を示しているように感じてしまう手紙です。しかし、これは当時の教会に連なる人々の経済格差
が著しい中で、いかに他者と比べるのではなく、神との関係性を一番にしていくのかを語ろうとしている
のです。

私たちは自分で経験したことのない状況に対して想像力を働かせることができないものです。どうしても
自分本位で他者の痛みや苦しみに鈍感なものという自覚が必要なのでしょう。主イエスを自ら主と信じる
ことによって、神は私たちに「霊」をお与えになったのです。この「霊」によって平和、公正、従順に生
き、さらに偏見や偽善に気づくことができるのです。

平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように、またあなたがたの霊と心と体と
を完全に守られますように(Ⅰテサロニケ5:23)