マルコによる福音書8章31-37節
今朝読んでいる箇所はイエス様の公の活動の分岐点での物語です。皆さんの人生の節目と言うか、折り返し点はどんな時であったでしょうか?病気、退職などいろいろでしょう。
1.ペトロの信仰告白:イエスはメシア=キリスト
マルコ8:27-30では、主イエスは「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」(27節)そして、「それでは、あなたがたはわたしを何者だというのか」と問いかけられ、ペトロの「あなたは、メシア・キリストです」という貴重な告白を引き出されました。
2.キリスト告白の問題点とその克服
ところが、メシア=キリストという称号は含蓄が多く、暴力や武力を用いての政治的反乱によってローマ帝国に力で対抗するリーダーであることを含んでいました。このような危険な誤解を察知して、主はキリスト告白をイザヤ53章の「苦難の僕」の生き方と結びつけています。 ここに決定的な新しさも躓きもあります。主であるお方が「僕」として、しかも苦難の僕として神と私たち人間に仕えて下さるというのです。十字架への道です。
3.主イエスに従う:福音のために自分を捨てること
次に「イエスに従う」とはどういうことかについて語っています。私が18歳の時に聖書を読んで心に響いた言葉です。特に、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか」(36-37節)が、福音のために自分を捨てる覚悟があるか問いかけているからです。
4.いのち、手離して得るもの:サンダー・シングの証
サンダー・シングはある夕暮れネパールに向けて吹雪の道を急いでいました。すると一人の男が道を急ぎ彼を追い越していきました。少し進むと一人の人が行き倒れています。先ほど道を急いでシングを追い越した人は、倒れている人に関わったら大変だと思ったのでしょう。さらに、道を急いだ模様でした。シングは倒れている人を助け起こし、背負ってよちよち進みます。道を進むと、先ほど道を急いだ男が雪の中に倒れ、凍死していたのでした。背負った人の体温、そして、シング自身も汗をかいて温かく、命が助かったことを知り、「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」という言葉を思い出したそうです。
5.「平和の祈り」に寄せて
有名な「平和の祈り」の最後の部分は「わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。」とあります。聖書の言葉と繋がります。