心を一つにして 2013年6月9日 巻頭言

聖書 使徒の働き 4章23~31節

釈放されたペテロとヨハネは、彼らのことを案じ、心配して祈っている人々の所へ帰ってきたのでした。どんなことを言われたのか?どんなことがあったのか? 二人の報告を聞くとき、人々は、心を一つにして、神に向かい祈るのです。取り調べを受け、厳しく戒められ、脅かされたことについて、その権力に対抗するための作戦も、迫害を逃れる方法も語られないのです。人々が、心を一つにしたのは、主が起こしてくださった出来事は、既に詩篇に歌われていたことの成就であることの確認でした。神は、待ち望んでいた救い主メシアを、この世に送ってくださったこと、そして神のあらかじめお定めになったことが、実現されたことを告白する祈りでありました。 さらに、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてくださいと、求める祈りであったのでした。

このできたばかりの初代教会、信仰共同体において、主と崇め、救い主として来てくださった方、イエス・キリストが、この世に憎まれたのだから、同じ道をいく私たちもまた、憎まれ、迫害されることは当然のように受け止めていたのでした。

集会の中で、「大きいことは一致を、小さいことでは自由を、すべてのことに愛を」という言葉を、何度か聴くことがありました。 現代社会の教会で、「自由」や「愛」が、多く語られるのに対し、何において「一致」しなくてはいけないのか、何か大きいことなのかを、みことばに聴き続ける教会でありたいと思うのです。

使徒の働きの中で、好んで用いられる「心を一つにして」という言葉の背景には、聖霊の風に持ち運ばれ、使徒たちの思いを超えて、生まれていく教会への祈りを感じるのです。神の宣教の広がりによって生み出される教会は、あらゆる人々を巻き込んでいきます。心を一つにして共に祈り、共に告白するとき、聖霊は、私たちに語るべき言葉を示してくださるのでしょう。