いちばん偉い者 2013年11月17日 主日礼拝

聖書:マルコの福音書 9章33~37節

子ども祝福式とは、神様が、一人ひとりに命をくださって、それぞれの成長を支えてくださったことを、共に喜ぶ集会です。 子どもは、どんな親の間に生まれてきたいと希望して生まれてくることはできません。 だからこそ、大人の側からも、こんな素晴らしい子ども与えてくださった神様に、感謝したいと思うのです。 現代は少子化と言われ、教会を訪れる子どもたちが減少していることを嘆く言葉を聞きます。しかし、この相浦光教会のまわりは、子どもたちの声が聞こえない日はなく、いくつかの幼稚園バスの停留所、また小学校、中学校の通学路になっている現状を知るとき、命をお造りになった方の愛の満ち満ちた場所であることを感じるのです。

誰がいちばん偉いと議論していた弟子たちにむかって、イエス様は、ひとりの子どもを連れてきて、彼らの真ん中に立たせ、腕に抱き寄せて、「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。また、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」と語られたのでした。 イエス様と弟子たちの一行の中には、親をなくしたり、捨てられた子どもたちが大勢いたと言われています。 その子どもは、イエス様が大好きだったのでしょう。子どもは、愛してくれる人と、自分を嫌いな人は、すぐに見分けていきます。イエス様に呼びかけられたとき、応答して喜んで抱きかかえられる姿がなければ、この物語は、福音書に記されることはなかったでしょう。

新しい命をいただき、子どもが成長していくと、向かい合う大人たちも、どうして良いのかわからなくなることに何度も出会い、関係性に疲れてしまうことがあるのです。思い通りにならないことの連続の中から、別の人格が、しっかりと育っていくことに触れ、親になることを学ばされると言います。教会も、また子どもたちの成長に振り回されて、教会になっていくのだろうと感じるのです。