聖書 マルコの福音書 11章1~11節
今年のイースターは、4月20日です。クリスマスと違って、毎年その日が変わるために、日本ではなかなか定着してこないことと、教会においても受難週としての、短期間の受け止め方が多かったように感じるのです。主イエス・キリストの最後の一週間を、丁寧に追っていくことによって、キリスト教の中心的な出来事、イースターのその意味を深く受け止めてみたいと、この3月のはじめより計画してみました。
マルコの福音書は、この最後の一週間のために、四割を割いて、主イエスの足跡を追っています。一週間という凝縮した時間の中で、主イエスの言葉、行動にむかうとき、当時の社会の暴力的な不正の中で、虐げられ、辱められている人々と共に歩まれた人間イエスに出会うことができるのだと思うのです。
始まりは、エルサレムに入城していく場面です。ここには、実に「ろばに乗る」ことにこだわっているイエスに出会うのです。弟子たちは、向こうの村へ行って、「だれも乗ったことのないろばの子」を引いてくるように命じられるのです。出かけていった弟子たちは、「ろばの子をほどいたりして、どうするのですか?」という質問に、イエスが、話されたとおりに、「主がお入り用なのです。すぐにまたここに送り返されます。」と応えて、ろばを借りくることができたと証言するのです。
ろばの子は「弱さ」「小ささ」を現し、その歩みは遅く、ローマ皇帝軍を率いて、軍馬に乗ってエルサレムに入城した総督ピラトと、対象的な行進であったのでしょう。軍馬に現される「強さ」「大きさ」に対して、本当の「王」は、人に仕える者であることを、行動で示されたのです。主イエスは、「経験」や「能力」を求めず、誰も乗せたことのない子ろばを選ばれたのでした。「弱さ」や「小ささ」の只中に見出すことのできる神の国を語り続けた主イエスの旅も、いよいよ目的の場所へと向かっていきます。