聖書 マタイの福音書 7章1~6節
日本人の技術力は、「はかる」技術から発展していったとも言われます。 国語辞典を開いてみても、「量る」重量や容積を調べる。「測る」高さ、深さ、広さ、速さなどを測定する。「計る」数量、時間を計測する。と、多くの漢字によって現される世界が広がっています。 ですから、現代社会に生きる私たちは、とかく数字によって、自分自身の心が揺さぶられている状況の中に生きているともいえるのではないでしょうか。クリスマスへの準備と祈り、アドベントという時間を大切にしていても、その結果、すなわち数字によって一喜一憂してしまうのが現実なのです。
主イエスは、「さばいてはいけません。さばかれないためです」と語られました。わたしたちは、自分たちが正しいことをしていると信じて行動しているときほど、それに対して反対され、抵抗されると、その相手をさばくことになっているのではないでしょうか? さらに、「あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたは量るとおりに、あなたがたも量られるからです」として、自分の目の中にある梁に気づかず、兄弟の目にあるちりを注意する有様を示されました。この聖書で言う「はかる」は、計測するという行為を指し、相手の気持ちをはかり、真意をはかる心の問題を語っておられるのです。
主イエス・キリストの誕生の出来事も、罪人として、裁かれ、隅に押しやられた羊飼いや、異邦人に、まず知らされていったのでした。また、その生涯は、イザヤが預言したとおり、屠り場に引かれる小羊のように、捕えられ、裁きを受けて、十字架の上で命を取られていかれました。キリストに従う道を歩むということは、まず自分の梁を取り除くことから始めていかなくてはいけないのでしょう。わたしたちは、主イエスに与えられた「神の愛」によって、はっきりと見ることができ、さばくことなく、向かい合う人々と生きることができるようになるのです。