2022年10月16日 主日礼拝 私を憐れんでください

聖書 ルカによる福音書 16章19-31節

主イエスのたとえ話を嘲笑ったファリサイ派の人々への話が続きます。この金持ちには名前もなく、一方ラザロの名前は「神は助け」という意味を持っています。金持ちは上等の洋服を着て、毎日派手な生活をし、その門前に横たわっているラザロは出来物だらけの貧しさの中で暮らしていたのでした。

この金持ちが死んで陰府でさいなまれていると、アブラハムとその懐にいるラザロをはるかに見つけるのでした。彼は大声で「父アブラハムよ、私を憐れんでください」と叫びます。そして炎の中で苦しんでいる自分のために、ラザロをよこすように言います。彼はラザロの名前も存在も知っていても、心が動くことは無かったのでしょう。陰府においてもなお、彼はアブラハムへラザロをよこすように上から目線で語ります。

アブラハムは「お前は生きている間に良いものを受け、ラザロのほうは悪いものを受けた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。」と語り、私たちとお前たちの方へは渡ることもできないと示すのでした。すると彼は、まだ生きている自分の兄弟たちのことを心配して、ラザロを遣わすように語ります。彼には、このラザロのような貧しく痛んだ人々が、家の周りで「憐れんでください」と言っていることなど考える余地もありません。自分のこと、自分の兄弟のことばかりです。

著者ルカは、善きサマリヤ人、徴税人のザアカイなど、隣人と生きる人々を語り、一方で自分のこと、自分の家族や親族ばかりを心配する金持ちや宗教家を描きます。私たちは自分では育つ状況などを選べないことも多いのでしょう。しかし、どう生きるのかは、選べます。「私を憐れんでください」という人と出会い、主と共に生きる道へと導かれたいものです。

現代社会も感染症や戦争の影響を受けて、さらに格差社会が広がっていく予想がなされています。そんな中だからこそ、教会は誰と生きるのかが問われているのです。