2022年10月23日 主日礼拝 気をつけなさい

聖書 ルカによる福音書 17章1-4節

「つまずき」(スカンダロン)は、スキャンダルにつながる言葉です。すなわちこの世の権力が絶対的な力を帯びるとき、キリスト教国においてであれ、非キリスト教においてであれ、キリスト者はいつも「スキャンダラスな人々」であらざるを得ないのです。なぜなら初代教会は、巨大なローマ帝国体制にむかって「イエスという別の王がいる」と告白し続けていたからです。

著者ルカは主イエスの言葉をもって、虐げられた共同体が権力によって迫害を受け、分断されている中でつまずきは避けられないと語ります。ローマの平和として虐げる為政者こそが災いであることを示します。しのびよる信仰からの離反の誘惑は、弱さの中に生きる人々を絶えず脅かしていたのでした。「あなたがたも気をつけなさい」信仰に固くたって生きることの難しさを十分知りなから、互いにイエスは主なりと告白し、祈りあうとき、そこに共に主がおられることを語るのでした。この長崎の地のいたるところに点在する潜伏キリシタンの遺跡を訪れるたびに、当時の初代教会につながる痛みや苦しみを想像することができます。

一つの宗教が大きく報道に取り上げられ、その実態が暴かれるとき、どうしても宗教特有の「信仰の一致」、「献金のあり方」あるいは「次世代への教育」が行き過ぎていると批判されていきます。私たちキリスト者が毎週礼拝し、喜んで献金をし、子どもたちにキリストの愛を語ることと、何か違うのかを問われてくるのです。

この世に受け入れてもらいたいという誘惑は大きく、キリスト者としてマイノリティーであり続ける中で、忍耐と継続性を互いに分かち合うことが重要なのでしょう。だからこそ、悔い改めて立ち帰ってくる人々を喜んで迎え入れることが求められるのです。赦し合うことができない私たちにむかって、十字架の上で語られた「父よ。彼らをお赦しください。自分が何をしているのかわからないのです。」と祈られた主イエスを覚えていたいものです。