この人を見ないか 2020年10月4日 主日礼拝

聖書 ルカによる福音書 7章36-50節

シモンという名のファリサイ派の人が、主イエスに一緒に食事をしたいと申し出たのでした。彼は客人の足を洗うことなく、食前にオリーブ油を注いで敬意を示すこともせず、汚れが移ることをさけて挨拶の接吻も、しようとはしませんでした。人々がうわさするイエスという男に興味を持ち、どんな話をするのか?そんな好奇心から招待したのかもしれません。

当時の食事は、外から良く見える場所で行われていました。 旅人である主イエス一行を食事に招くシモンの心の広さと親切心を、誰もが見ることができるように設定されていたのでした。そこに突然に一人の女性が主イエスに近づいてきて、イエスの足元で泣きながらその足を涙でぬらし、自分の髪の毛で拭い、その足に接吻して香油を塗ったのでした。実に異常な光景でした。女たちは、夫の前でしか髪をほどくことはなく、人々の前ではつつましく息をひそめて生きることを求められていた時代でした。

されるがままでいる主イエスに対して、シモンは「この人がもし預言者なら、自分に触れている女が誰で、どんな素性の者かわかるはずだ。罪深い女なのに」と思うのでした。すると、主イエスは、「あなたに言いたいことがある」と、二人の借金を帳消しにしてもらった人の「たとえ話」を語りだします。「一人は500デナリオン*、もう一人は50デナリオンの借金があり、どちらも返すことができないのを見て、金貸しが帳消しにしてやった。どちらが多くその金貸しを愛するだろうか?」シモンは「帳消しにしてもらった額の多いほう」と主イエスの意図を量りかねて答えるのでした。

主イエスは、この女の方を振り向いて、シモンに対して「この人を見ないか」と語るのでした。一人の存在として「見てもらえない」女の流れ落ちる涙も、ほどいた髪も、足に接吻する様も、ただただ主イエスへの愛情表現でした。そして主イエスは喜んで女にむかって言います。

「あなたの罪は赦された」                             *デナリオン:一日の労働賃金