地の塩 世の光 2014年7月27日 主日礼拝

聖書 マタイの福音書 5章13~16節

あなたがたは、地の塩です。」「あなたがたは世界の光です。」と、主イエスは宣言されました。この言葉が、「幸いである。」の繰り返しの後に登場してくることに深い感動を覚えるのです。「幸い」の中心は、人格的な神との深い交わりであることを教えられた主イエスでなければ、語ることのできない宣言であると思うのです。

地の塩でいう「地」とは、この世を示し、そこにおける「塩」は、なくてはならないものを意味するのです。 実際に人間が生きるためには、塩分はなくてはならないものであります。 また、塩は、食物の防腐剤として働き、干物や漬物にすることによって、腐敗を防ぎ、保存できるようにする工夫が伝えられています。旧約聖書の中にも、塩が腐敗しないことによって、神の契約の塩を、穀物のささげものに欠かしてはならないことが律法に記されています。

世の光でいう「世」とは、同じように、この世を示し、そこに「光」は、なくてはならないものであります。光によって、わたしたちは見ることができるようになり、暗闇の中から、罪が明らかにされていくのです。光によって、大気の温度は保たれ、人間は生きることができるのです。昨日のファミリーキャンプでは、光の持つエネルギーや、輝き、さらに多くの色が重なっていることも知ることができました。

あなたがたとは、主イエスに従い、そのことで、人々にののしられ、迫害され、悪口を浴びせられる人々のことと読むことができます。現実に、迫害の只中におかれていた著者マタイの教会の人々にとって、主イエスの宣言は、実に大きな励ましになったことと思われるのです。

わたしたちは、「あなたがたは・・・です。」という主イエスの宣言の前に、小さなことで揺れ動いてしまう自分を感じ、たじろいでしまいます。しかし、主イエスご自身が、地の塩、世の光として、この世にこられ、すでに神の国、天の国は始まっているのです。