聖書 イザヤ書 9章1-6節 (録音なし)
この地球に人間が創造されてから、平和になったことは一度もないという事実を踏まえて、本日のイザヤの預言にむかい合いたいと思います。特に、この預言が記された時代は、アッシリアによって侵略され、人々は飢えの中で、権力者による抑圧に対して、憤りと呪いに満ちていたのでした。地を見渡すと、見よ、苦難と闇、苦悩に満ちた暗黒、そして追放の暗闇(8:22)
そのような中でイザヤは、闇の中を歩んでいた民に神の言葉を届けます。そこには「大いなる光を見た」あるいは「光が輝いた」と、すでに完了した表現を用いて神の約束が語られていったのでした。預言者イザヤも、そこに居合わせた民も、この預言が実現することを見ることはできませんでした。しかし、この預言こそが人々の希望となって、不合理や不条理、差別と偏見の中であっても、生き抜く力を受けて語り継ぐ人々によって伝えられていったのでした。
今年はコロナ危機の只中で、アドベント(到来)を迎えています。この世は経済の崩壊、また差別と偏見の渦に振り回されて、もがき苦しんでいる人々で満ちています。感染対策という言葉によって、人々が分断され、孤立させられていきます。この時期、主イエス・キリストがこの世に遣わされた意味と喜びを、静まって黙想の中で受け止めていきたいと思います。
「驚くべき指導者」「力ある神」「永遠の父」そして「平和の君」と呼ばれる方の主権こそが「終わりない主の平和」なのです。 神がその独り子によって、世を救おうとされた愛の決断を思うのです。これによって起こされた出来事は、神と人を、人と人を結び合い、繋いでいく働きを生み、そこに神の国を見い出すことができるのです。この奇跡を見た人によって、体験した人によって、クリスマスは繰り返し、伝えられていくのです。
十字架を通して二つのものを一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼしてくださったのです。(エフェソ2:10)