弟子たちの中に 2020年10月11日 主日礼拝

聖書 ルカによる福音書 8章1-3節

主イエスの一行は神の国を宣べ伝え、福音を告げ知らせながら、町や村を巡られました。主イエスご自身が「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない(9:58)」と、語られるように、貧しさの中で旅が続けられていったのでした。その一行の中に女たちがいたことをルカによる福音書は記します。

聖書に登場してくる女たちは、そのほとんどが名前を持ちません。父親や夫の所有物でしかない女たちを呼ぶ場合は「お嬢ちゃん」とか「奥さん」でよかったのでした。しかし、この箇所には、マグダラのマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスザンナと、名前が記されています。さらに名前をたどってみると、この人々が、主イエスと共にエルサレムに上り、十字架の場面を凝視し、復活の主イエスに最初に出会うことができたことを知ることができるのです。さらに初代教会での多くの働きの中に彼女たちがいたことで、それぞれの名前が伝えられていたことと思われます。

彼女たちは、主イエスに悪霊を追い出してもらい、病を癒してもらうことで、罪人と言われるレッテルを取り去られて解放された人々でした。その喜びと感謝の思いが、いままでの故郷をあるいは家族を置いて、主イエスに従っていく道を選ばせていったのでしょう。

彼女たちは自分の持ち物を出し合って、一行に仕えていた(8:3)と記されています。「仕える(ディアコネオー)」と翻訳された言葉は、以前は「もてなす」「給仕する」という表現で限定された奉仕、特に女性が食卓で働くことを想定したように翻訳されてきました。しかし、この言葉こそ、主イエスが「私はあなた方の中で、仕える者のようになっている(22:27)」と、ご自身の働きを現わしてくださるものです。

教会で行われる礼拝は、多くの方々の奉仕によって支えられています。そこに優劣はなく、主イエスに救われ解放されたことへの喜びと感謝からの働きでしかありません。