聖書 使徒の働き 14章14~18節
パウロとバルナバの伝道旅行は、迫害する追手からの逃避旅行とも言えるのかもしれません。使徒の働きには、二人が、次々と場所を変えて、福音を語り続ける様子が描かれています。 ルステラという町の、生まれつき足のなえた人は、パウロの福音宣教に出会い、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい。」という言葉を、真っ直ぐに受け止めることによって癒されていきます。しかし、この出来事に驚いた群集は、声を張り上げて、バルナバとパウロを、ギリシャの神話の神々の化身として祀り上げ、彼らにいえにえをささげようとしたのでした。 そのことを知った二人は、衣を裂いて、群集に駆け込み、「私たちも、皆さんと同じ人間です。」と、叫びます。そして、人間を神にするというむなしい行為を捨て、天と地と海と、その中にあるすべてのものをお造りになった生ける神へと立ち返るようにと、語るのです。
私たちの周りには、人間が神様となって拝まれ、さらには山や大きな木を神様として祀っている場所が、いくつもあり、パワースポットという言葉と共に、人々を集めています。拝まれる対象には、人間の限界を超えて働く超能力を感じさせ、人々はその力によって、悪いものからの回避と、より良い自分への変化を願うのです。一方で、この世の価値観に翻弄されて、その地位や財力、あるいは能力によって、人を評価する関係性に、心をすり減らしているのです。 人間は、そもそも神様によって造られている存在であることを忘れ、心が満たされる時を、場所を、対象を、求め続けているのではないでしょうか?
パウロの語るイエス・キリストの福音は、人を区別や、差別から解放して、神の救いに預かることができる、新しい時代が訪れたことを知らせるものでした。 そして、その生ける神は、すべての人に対して、恵みの雨を降り注ぎ、実りをもたらし、私たちの心を喜びで満たしてくださる方であるのです。