神の国の秘義 2020年10月18日 主日礼拝

聖書 ルカによる福音書 8章4-15節

主イエスは神の国の福音を、その多くを「たとえ」用いて宣べ伝えられました。共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)に記されたイエスの教えの約三分の一が「たとえ」であると言われています。この種を蒔く人のたとえは、その中でも誰もがよく知っている「たとえ」と言えるでしょう。しかし、主イエスが大勢の群衆を前に、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われたとき、そこにいた弟子たちは、意味を理解できず、後になって質問をすることになるのでした。

ルカによる福音書の種を蒔く人のたとえ話は、弟子たちの質問に応じる方法で、主イエスが語られ、またなぜ「たとえ」でしか語らないのかについても説明されている構成になっています。一般的には「たとえ」で語られることで、その意味がより良く理解できるように考えますが、主イエスのたとえは、そのほとんどが解説付きでないと理解できないようにも思えます。そして著者ルカは、イザヤの預言を引用して、主イエスが語った真理は、そのほとんどが受け入れられることなく無駄に終わってしまうことを記していくのです。同じイザヤの預言(6:9-10)を使徒言行録の一番最後に用いて、使徒パウロが同胞への伝道をあきらめて語る言葉とも重ねて見ることができるでしょう。

ルカによる福音書は、種を蒔く人ではなく、蒔かれた種の行方に注目しています。ただただ御言葉を聞くだけでなく、そのみ言葉を守り、実を結ぶことの重要性を強調しています。わたしたちは、自分たちの状況に応じて、同じ御言葉を聴いたとしても、たとえに記されたように「信じるに至らない人」であったり、「一時しか信じることのできない人」になってしまうことが良く理解できます。また信仰生活の中で遭遇する多くの誘惑によって、途中で途絶えてしまう人々がいることも知っています。しかし、忍耐して百倍の実を結ぶ実のための「良い地」こそ、主なる神が備えてくださっていることを思うのです。