ただ信じなさい 2021年1月17日 主日礼拝

聖書 るかによる福音書 8章40-42、49-56節(録音なし)

会堂長ヤイロは、主イエスの一行が湖の向こう側から帰ってくるのを待ちわびていた人々の中にいました。彼は、汚れた悪霊に取りつかれた男が「神の聖者」と叫ぶ(4:31)場面を目撃し、主イエスが「安息日に許されているのは命を救うことか、滅ぼすことか(6:9)」と、厳しく尋ねられる場面にも同席していたのでした。またナインという町で、死んだやもめの息子を起こされたことも聞き及んでいました。

彼は主イエスの足元にひれ伏して、自分の家に来てくださるように願うのでした。聖書は十二歳ぐらいの一人娘が死にかけていたと記します。ところが、急いで連れ立って進む途中に、十二年間もの間出血が止まらない女が後ろから近寄って主イエスに触れていくのでした。立ち止まる主イエス、探し出そうとする主イエス、そんな出来事の中で、ヤイロはどんな思いで立ちすくんでいたのでしょうか。なにがなんでも自分の娘の救いを、救いだけを望んでいたヤイロにとって、忍耐深い時間であったことでしょう。

「娘よ。あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」という主イエスの言葉を一番近くで聞いていたのはヤイロでした。しかし、家からの人はやってきて「お嬢さんは亡くなられました。この上、先生を煩わすことはありません。」と言うのでした。声を失なっているヤイロにむかって主イエスは「恐れることはありません。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」と言われるのでした。人々の嘲りの中を進む主イエスは、娘の手を取って、霊を取り戻していかれるのでした。

当時も今も、この世に命を得た者へ、大切な人の「死」が訪れ、自分では何もできない恐れと悲しみへひれ伏すように強いていきます。しかし、十字架と復活を越え、死に勝利した主イエスの言葉と行いを辿るとき、信じ従っていく道がひらかれていくのです。その道を求めていく人に、恐れが取り去られ、救いが与えられていく出来事(奇跡)が確かに存在することを知るのです。