聖書 エレミヤ29章11節
エレミヤ書29章には、預言者エレミヤがバビロンに捕囚として連れていかれたイスラエルの民にむかって送った手紙が記されています。まず日常の生活を大切にし、次いで子どもたちを結婚させて人口を減らさないようにし、さらに捕囚として連れていかれた町の平安を求め、主に祈るようにと書き送るのでした。当然、この手紙に対しての反発は大きく、この手紙とは違った預言や占いを語る人々が登場してきて、屈辱的な捕囚の期間が早期に終わって帰還できる事を示します。
イスラエルの民にむかって、エレミヤは、あなたたちのところにいる預言者や占い師たちの言葉にだまされないように告げます。そしてバビロンに70年の時が満ちたら、あなたたちを連れ戻すとの主のご計画を書き送るのでした。それは平均寿命が短い当時の人々にとって、自分たちは祖国へ帰れないことを告げられる言葉でした。しかしエレミヤは、民族的な苦難と惨憺たる敗北の只中でこそ、神のご計画を受け入れるように示すのでした。すなわち、主なる神のご計画は、将来と希望を与える平和の計画であって、災いの計画ではないというのでした。
人はそれぞれに自分の計画を立てていきます。そこには、どんな情報を選択するかも含んだ上で、明日の、来週の、来月の、さらに数年先までの計画を思い描いていきます。特にこの夏、感染症対応も2年目を迎え、先の見えない状況が続く中で、どんな計画もむなしく思ってしまう方々と出会います。私たちは自分で立てた計画は、思いがけない出来事によって変わってしまう可能性があることに、ようやく気付いてきたのかもしれません。
日々の困難の中で、現実可能な希望が見えてくるには、決して一人ではなく社会的な背景を持ち合わせることが求められます。私たちはエレミヤの語る「平和の計画」のために召されているのです。主イエスの出来事によって、希望が失望に終わることがないと知った私たちこそ、平和を造りだす者とされるのです。