聖書 ルカによる福音書 11章45-54節
主イエスが食事に招待したファリサイ派の人に対して、批判と非難の厳しい言葉を重ねていると、「律法の専門家」の一人が抗議の声を上げます。主イエスの語る言葉が自分に向かっていることに気付いていったからでした。ルカによる福音書では、他の福音書では律法学者としてファリサイ派の人々と組み合わせて語られる場面を、あえて分けて「律法の専門家(ノミコス)」という言葉を用います。著者ルカは、ギリシャ・ローマ社会にいる人々にとって理解しやすい言葉を選んで、弁護士など法律問題にかかわる人としたようです。
しかし抗議を受けた主イエスは、非難の矛先をゆるめず「律法の専門家」へとむかいます。「あなたがた律法の専門家にも災いあれ」と、背負いきれない重荷を負わせていること、預言者の死の責任を放棄していること、そして知識の鍵を取り上げていることを厳しく批判していくのでした。
律法の専門家とはユダヤ社会において、当時の人々に対して指導していく立場にいる人々でした。モーセの律法を人々の日常生活に反映させ、その行動が律法違反かどうかを判断する役目を担っていました。しかし、その順守ばかりを主張して、貧しい人々や病を負っている人々の救いには関与していないと言われるのです。預言者の墓をたて、その功績をたたえたとしても、彼らが命をかけてまで伝えようとした心砕かれた魂を差し出して神の言葉に従う歩みから逸脱していると言われたのでした。さらに神の国に入り、救いに与る知識の鍵を取り上げて、自分が入らないだけでなく、人々が入ることを拒んでいるとまで言われるのでした。
コロナ危機の中で私たちは、専門家といわれる人や、指導的立場にいる人々の言葉によって影響され、その行動が制限されてきました。教会は専門家と言われる人々のために祈り、またその発言や行動が苦しんでいる人々の救いにむかっているかに対して、目を覚ましている働きが求められているのです。