聖書 ルカによる福音書 12章8-12節
この福音書の著者は、主イエスの言葉を通して、異端として迫害の只中にある共同体への励ましの言葉を連ねます。権力を手中に納めた人々にとって、自分たちの思いのままに従っていかない共同体ほど、やっかいで邪魔な存在はありません。ローマ帝国という巨大な支配下のもとで、キリスト者たちは小さくされ、絶えず身の危険という恐れを抱き、内部からの分裂を心配する状況にあったのです。
そんな中で、人々の前に連れ出され、語らなくてはいけない状況になったときに何を思い、何に従って生きるのかを、主イエスの言葉が示していくのです。ここには、神、イエス・キリスト(人の子)、そして聖霊と、いわゆる三位一体の神が、いかに私たちの言葉も、行動も、予め教育し、導いてくださる方であるかを語っているのです。
まず、人々の前で私(主イエス)を認める者は、私も神(ここでは直接の言葉を避けて神の天使)の前で、その人を認める(12:8)。ここで「認める」という言葉は、一つ(ホモ)の言葉(ロゴス)に由来し、告白、証の意味を持っています。次の節には、人々の前で私(主イエス)を拒む者は、神の前で拒まれる。ここには、創造主なる神の主イエスに対する深い愛を感じます。しかし、ご自身を人の子と呼ぶ主イエスは、人が主イエスの悪口を言ったり、関係ないと拒絶しても、赦してくださる方であると言うのです。最後に主イエスが天に挙げられた後に私たち与えられた聖霊の働きについては冒涜する者は赦されない。と言うのです。ここから主イエスが人としてこの世にきてくださった大きな意味を知り、私たちの赦しと救いの出来事が成就されたことを喜びたいのです。
キリスト者が極めて少ないこの国では、わたしたちは人々の文化や慣習とは違った言葉や行動に、違和感を感じる方々に何度も出会います。だからこそ、言うべきことは聖霊がその時に教えてくださる(12:12)。という言葉が大きな励ましになるのです。