聖書:使徒の働き 19章23~34節
エペソの町で、パウロは、2年間、主の言葉を語り、アジアに住む人々は、皆、ユダヤ人もギリシャ人も、その福音を聞いたのでした。多くの病が癒され、悪霊が出て行く有様を、見聞きし、人々がその教えを受け入れるのを知ったとき、「危ない」と感じた人がいたのでした。その人は、アルテミス神殿の模型を作る職人たち、さらに同業の者たちをも集めて、400年近く、この町の中心にある神殿に祀られている大女神のご威光が、危うくなってしまうと、人々を煽ったのでした。
今も昔も、新しい教えに、勢いがついてくると、「危ない」と感じていくのは、人間の常でしょう。主イエス・キリストの教えと対峙するものとして、偶像礼拝が上げられます。目に見える物を拝ませ、それを手に入れることによって安心する人間の心を、利用して、多くのお金が動き、権力と繋がっていきます。まさに偶像とは、人の欲望が生み出していった産物のように感じます。 その昔から唱えていた「偉大なのはエペソ人のアルテミス」をリズミカルに、大勢の人々と唱和することによって、その騒動は、燃え広がり、町中が大騒ぎとなっていきます。なぜ集まったのかも知らずに、ただただ「偉大なのはエペソ人のアルテミス」を2時間もの間、叫び続ける人々を、対岸の出来事として良いのでしょうか? 混乱と騒動に巻き込まれていくと、群集という勢いの中で、違うことを行う困難さに立ちすくむ、わたしたちなのかもしれません。
パウロは、野外劇場へとなだれ込んでいく集団に入って行こうとして、弟子たちに、また友人となったアジア州の高官たちに阻まれていきます。しかし、混乱は、予想もしない人によって、静まっていったのでした。アドベントを迎え、光として、この世に来てくださった方は、町の喧騒から外れた小さな洞窟で、お生まれになったことを、まず自分自身の心に受け止めていきたいと思うのです。
宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。(ルカ2:7)