聖書 ヨハネの福音書3章1-10節 田中國夫
ヨハネの福音書3章・ユダヤ人の指導者であるパリサイ派のニコデモという教師が夜、ユダヤ人たちの目を盗むようにしてイエスのもとを訪問します。彼は始めにイエスに対して「ラビ」と挨拶しています。まるで「私の先生」と言ったようにも受け取れます。
ニコデモがイエスを訪問した目的は、旧約で予言されているメシアがこのイエスであるのか、違うのかを確認するためのようです。始めにこのことを質問しますが、イエスの答えは、『人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることは出来ません』と言われ、ニコデモが予期、期待していた答えではなく、始めて聞く教えでした。ユダヤ教の熱心な信仰をもつ彼は、イエスのこの言葉を理解できずパニック状態になり、次からはちんぷんかんぷんの質問を続けます。
しかし、イエスはニコデモに神の国のこと、水と御霊のこと、なぜ新しく生まれ変わらなければいけないのかを丁寧に教えます。このことで彼はイエスが真のメシアであることを確信したと思われます。この後の7章・19章では、イエスを捉えて殺そうと企んでいる、ユダヤの最高権力を持つサンヒドリン議会では一人だけイエスを擁護したり、イエスが十字架の上で息を引き取られたとき、イエスの弟子たちはイエスを見捨て散りじりに何処かに逃げ出していますが、ユダヤ人のヨセフとニコデモが死をも覚悟して、イエスの遺体を十字架から降ろし、ニコデモが用意した香料と亜麻布で、入念にイエスのご遺体を包み新しい墓に埋葬しています。
初めてイエスと話をした夜から、イエスの言葉によって徐々に「生まれ変わり」が始まり、イエスの遺体を・・・・・新しい墓に埋葬したことが、彼の完全な「生まれ変わり」であり、信仰告白であり、晴れのバプテスマ式と感じ取っています。
バプテスマを受け既に生まれ変わっているはずの私が、神の国に入る前に何をすべきかということを、ニコデモさんから突きつけられているように感じています