聖書 マタイの福音書8章5~13節
カペナウムは、主イエスが「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」と、宣教を始められた場所です。ここは、多くの人々が行き交い、商業の要所でもあり、当時のローマ帝国から遣わされた兵隊たちも駐屯していたのでした。ひとりの百人隊長が、みもとに来て、「主よ。私のしもべが中風で、家で寝ていて、ひどく苦しんでいます。」と懇願するのでした。いかに百人隊長が、部下を大切にしていたとしても、自分の地位や自尊心まで置いて、ユダヤ人である主イエスに近づき頭を下げるということは、実に驚くべき事でした。ですから、周りにいた群衆が、主イエスの返事に耳をそばだてている様子が感じられます。
主イエスは、「行って、直してあげよう。」と応答されるのですが、百人隊長は、その申し出を断り、「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格はありません。ただおことばをください。そうすれば私のしもべは直ります。」と言うのでした。ここに、信仰の本質を見るのです。自分自身が、いかに罪深いものであり、主イエスをお迎えするには、ふさわしくないと感じる心を見るのです。自分の闇、罪を見ることができる人ほど、光を求め、救いの出来事を受け止めることになるのです。次に、み言葉への徹底的な信頼を見るのです。主イエスへ行動を望むのでもなく、神の権威をいただいた主イエスのことばに信頼し、「おことばをください」と求めるとき、「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになる。」という言葉を受け取ることができるのです。
私たちは、自分自身も含めて、多くの課題に取り囲まれています。自分自身で、解決しようとするではなく、徹底的に、主に信頼し、主からの言葉をいただく者とされたいのです。主イエスは、苦しんでいる僕の信仰を問うことなく、いやしの出来事を起こされました。私たちもまた課題の中で、苦しむ友のために、み言葉に信頼して祈るものとなりましょう。