主よ お望みならば  2020年4月26日 主日礼拝

聖書 ルカによる福音書 5章12-16節

ヘブライ語「ツァラアト」は、レビ記13~14章に詳しく書かれていますが、そこには祭儀的な「汚れ」という観点から人や物について記されています。これを聖書協会共同訳では「らい病」、「重い皮膚病」から「規定の病」という表現に変更して、なんとか当時の不確かさと現代に残る差別性を薄めようと努力しています。本日の聖書箇所を理解するには、その病に侵された人は、共同体から隔離され、衣服を引き裂き髪を垂らし、口ひげをおおって「汚れている。汚れている」と叫ばなくてはいけない屈辱的な生活を負わされていたということを知ることが大事なのです。

全身を規定の病に覆われていた人が、隔離された場所から規定を犯してまで、人々の中に出てきて、多くの人々のさげずみの目にさらされながらも、一つの町にたどり着いたのでした。彼がこのような行動をとったのは、そこに「主」がおられるからであり、「主」だけを見つめて彼は進み出て、主イエスの前にひれ伏したのでした。彼は「主よ、お望みならば、私を清くすることがおできになります」と願い出るのでした。ただ「清めてください」と願うのではなく、「あなたがそれを意志してくだされば」と希(こいねが)う態度の中には、彼の主への信頼が見えてくるのです。

主イエスは手を差し伸べてその人に触れ、「私は望む。清くなれ」と、応答されていくのでした。するとたちまち規定の病は去っていきました。 主イエスは彼に祭司の所にいって体を見せ清いと言い渡してもらい、定められたとおりの清めの献げ物をし、人々に証明するようにしなさい。と、命じるのでした。また「誰にも話してならない」と厳しく言われるのでした。

本日の聖書箇所は、すでに3月後半に決定して奉仕者へ連絡済みでした。しかし、感染症の拡大に伴い、緊急事態宣言が発令され、集まって礼拝することを自粛することを決定したタイミングに宣教することになりました。速やかな回復を願い祈り求めておられる方々とそのご家族へ、主の豊かな伴いを祈ります。