聖書 ルカによる福音書 5章33-39節
主イエスと弟子たちは、徴税人レビの大宴会に招待されたように、色々な宴会に招かれ、共に食べたり飲んだりしたようです。主イエスのことを「大食漢で大酒飲み。徴税人や罪人の仲間(7:34)」と、言う人々もいたようです。さらにその様子に「ヨハネの弟子たちも、ファリサイ派の弟子たちも、度々断食し、祈っているのに、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしている」と、咎める人たちがいたのでした。
聖書では断食のことを「身を悩ます(レビ記16章)と記し、神の前に自分の罪を悲しんで祈ることを現わしていました。しかし、主イエスの時代になると、断食する人は、大げさに断食していることをアピールして、いかに敬虔な宗教家であるかを示していたのでした。主イエスはいつも人里はなれて静まって祈る方であり、弟子たちにも祈ることを教えておられました。彼らに反論することなく、主イエスは、「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることができようか? また花婿が取り去られる日には断食することになる」と、語られるのでした。そこにいた弟子たちは、その意味を理解することはできなかったことでしょう。しかし、主イエスの十字架と復活の出来事を振り返って、著者ルカは、その言葉の深い意味を受け止めつつ記しているのです。
次いで、主イエスの教えと、ファリサイ派の人々との考え方が根本的に違っていて相容れられない状況であることを、新しい布切れと古い服、新しいぶどう酒と古い革袋を用いて、たとえ話をされるのでした。わたしたちは、まさに自分自身の信仰生活にむけて主イエスが語ってくださっていることとして受け止めたいと思うのです。一回一回の礼拝が、主なる神の愛と恵みによって与えられていることを体験した今こそ、喜びの礼拝となっているかを吟味したいと思うのです。新しい人を着なさい。新しい人は、造り主のかたちに従ってますます新たにされ、真の知識に達するのです(コロサイ3:10)