2021年11月7日 主日礼拝 食事の席で

聖書 ルカによる福音書 11章37-44節

本日の聖書箇所は、食事の招待を受けた主イエスがファリサイ派の人を非難する話です。私たちは、わざわざ食事に招待してくれた人にむかって正面から非難する主イエスの態度に困惑してしまいます。愛と赦しの人である主イエスのイメージとはかけ離れた言葉が続きます。しかし、この場面は他の福音書にも記されていて、マタイによる福音書(23章)では、彼らにむかって「あなたがた偽善者に災いあれ」と繰り返す主イエスを描いています。

ファリサイ派の人々とは分離された人々と言う意味を持ち、彼らは厳密に律法を守り、汚れた人々との交流を断ち、自分たちの清さを保とうとしていた人々でした。ですから、主イエスが食事の前に身を清めなかったことに驚いてしまったのでした。その人々を主イエスは内側が強欲と悪意に満ちているとします。また香辛料のような小さなものまで十分の一のささげものを徹底するのに、公正と神への愛をおろそかにしていると言います。さらに上席に着くこと、挨拶されることを好んで、人目につかない墓のように不浄を隠しているとするのでした。

ここで、私たちはファリサイ派の人々の罪を指摘する主イエスの言葉を、自分たちへの言葉として受け止める必要を感じます。キリスト教の歴史を振り返る時、どうしても侵略の歴史と重なってしまいます。そこで自分たちの正義によって他者の人権を無視し、差別していった様々な場面を忘れてはいけないのだろうと思います。同じように、クリスチャンが自分はすでに救われた者として他者を見下していることがないか?と、問われるのです。もしそんな言動や態度があったら、まさに主イエスは「あなたがたに災いあれ」と非難されていくでしょう。誘惑に満ちた社会に生きる私たちは、知らず知らずに偽善者として傲慢になっていく危険性を秘めています。だからこそ、主イエスの徹底的に神に従った歩みに立ち返ることが求められているのです。