2021年12月26日 主日礼拝 行ってあなたも同じようにしなさい 中山雅子

聖書 ルカによる福音書 10章25-37節

今年、2020東京オリンピック・パラリンピックが開催されました。陸上男子110m障害に出場したジャマイカの選手は、準決勝の時、間違えて違う会場に行ってしまいました。聞いてみると、陸上競技場に行くには、公的な交通手段ではウォームアップに間に合いません。ボランティアの彼女はなんとすぐに五輪関係のタクシーに乗れるようにお金を渡してくれたのでした。彼女のおかげで、彼は十分な時間をかけて準備をして走ることができて、決勝ではみごとに優勝することができたのでした。彼は「善きサマリア人」を捜しに行って、感謝の気持ちを伝え、金メダルを見せることができたと言います。

私はこの報道で、この選手から「善きサマリア人」という言葉を聞いたとき、聖書の話を思い出し嬉しくなりました。この話は、主イエスを試そうとした律法学者が、「私の隣人とは誰ですか」と、問いかけたときに語られた主イエスのたとえ話です。エルサレムからエリコへと下る道で追いはぎに襲われ、瀕死の重傷になった人の近くを3人の人が通ります。祭司、またレビ人は、道の向こう側を通っていったのですが、民族同士反目しあっているサマリア人だけは、その人を気の毒に思って介抱し、自分の家畜に乗せて宿屋に連れていくのでした。祭司とレビ人は「この人」を助けたら「自分」はどうなるかと考えたのでしょう。しかし、サマリア人は「この人」を助けなければ、「この人」はどうなるだろうか?と考えたのです。

キング牧師は「自分のことを考えたら、人を愛せなくなってしまうのです。自分のことを忘れて、その人のことを真剣に考えることができることが本当の愛です。」と、語りました。傷ついて倒れている人は私たちかもしれません。弱く、貧しくて、自分の事しか考えられない私たちを、主イエスは憐れに思って、苦しみを共に味わい寄り添ってくださる方です。私たちはその愛を受けた者として、今度は私が誰かの隣人でありたいと思うのです。