2022年2月27日 主日礼拝 さて 信仰とは 野中滋生

聖書 ヘブライ人への手紙 11章1-3節

このヘブライ人への手紙は、だれが書いたのかはわかっていないようですが、紀元70年前後に書かれたといわれ、初めの熱心さが消えてしまった、また、信仰についての知識と理解が十分でないクリスチャンに対して、あるいは2代目のクリスチャンに向けて書いたのではないか、と言われてます。

ただ、旧約聖書に対する深い知識や理解があり、優れたキリスト論の理解があり、内容的にも説教に近い、勧告の部分も含まれることから、指導者的なそれなりに立場のある人ではないかと思われています。

「信仰」とはギリシア語で「ピスティス(pistis)」、信頼とか真実という意味があるそうで、旧約聖書に出てくる信仰の出来事を通して、信仰とは神を信じて希望を持つこと、それを昔の人たちが示していますよ、さらに、「信仰の導き手であり、完成者であるイエスを見つめながら、走りましょう。」と勧めています。

「希望(望み)」という言葉は、「信仰」という言葉と深い密接な関連があると思います。私たちクリスチャンの「希望(望み)」とは、単なる「要求」ではなく、神に根差した、イエス・キリストを通した「希望(望み)」であると言えると思います。

目に見えない、予測のできない将来に期待する、これはクリスチャンに限らず、多くの人ができることですが、クリスチャンの「希望(望み)」は、神様が、イエス様が介在しているということです。

だから、私たちは時々、「どうぞ、あなたの御心を示してください。」また、「どうぞ御心ならば、これこれのことをかなえてください。」と祈ります。

「信仰とは明日を信じることです。」

さて 信仰とは・・・、私たちも希望を込めて、このように自分なりの定義をしてみてはいかがでしょうか。