2022年1月9日 主日礼拝 パン種に注意しなさい

聖書 ルカによる福音書 12章1-3節

新しい年が始まりました。アドベントの時期に離れていたルカによる福音書の連続講解説教へと戻り12章から初めていきたいと思います。連続講解説教とは、聖書にあまり馴染んでおられない方々でも、連続して語られる説教によって、その時代背景や、著者の主張が、短い説教の時間でも迫ってくることができる利点をもっています。一週間に一度しか聖書をひらかない人も、また毎日必ず聖書に触れる人も、変わらない神の愛は注がれます。安心して礼拝の時を共有して、こころの中に御言葉を受け止める体験をしていただけたらと願うのです。

この箇所は、ファリサイ派の人々と律法の専門家へ主イエスが極めて厳しい言葉で非難する場面からの続きです。ですから「とかくするうちに」という言葉で始まっていきます。主イエスの周りには三種類の人々がいました。主イエスに激しい敵意を抱いている人々、そして群衆と呼ばれる物見遊山に集まってくる人々、そして弟子といわれる主イエスに従っていった人々です。この箇所では、この三種類の人々が浮き彫りにされながら、主イエスは弟子たちに語られるのです。

主イエスは「ファリサイ派の人々のパン種」を偽善として注意するように語られます。偽善とは「自分を隠す者」という意味を持ち、外面的には宗教的な人物の役割を演じ、内面では真の宗教的精神から逸脱していることを指し示して語られたのでした。彼らがどんなに取り繕っても、覆われているもの、隠れているものは、神の光に照らされることで明らかにされていくことを示し、弟子たちに注意するように語られるのです。

聖書で用いられる「パン種」は、少量でもまざると制御できないほどに大きくなっていく性質から、そのほとんどが腐敗とか罪を連想して用いられているようです。私たちの生活も、小さなことを許してしまう「パン種」を抱えているように思えます。偽善を抱えたままで、ありのままを神の前に注ぎだすことでこそ知る神の愛なのです。